“Entertainer”を考える

 

私の2020年夏の全てを捧げたと言っても過言ではないずきうや曲について、今更ながら私の解釈を満を辞して、インターネットの海へ放ってやろうと思います。

去年の今頃、「🎶テレレレテッテッ テレレレテッテッ」というあのイントロを毎日聴いていたら、母親に「頭がおかしくなるから!!ほんとやめて!!!」って言われました。7公演、あの曲の為に買ってた。

 

 

 

それ程私にとって思い入れのある楽曲なのですが、何故このタイミングなのか?と問われたならば、単に、昨年夏の時点で発信ツールを一つも持っていなかったからです。

自分の言葉をネットに晒すのが怖くて、今まではずっと自分の中だけで分析を繰り返し、ファンレという形で本人に感想として綴る、というルーティーンでした。

多分否定されることを恐れていたのだと思います。

 

でも今は年齢的にも精神的にも大人となり、こうして自分のヲタクライフを共有する様になりました。

 

私のヲタクの核でもある「分析」を皆さんと共有してみても良いのでは、と。そう思いました。

 

 

あとはまぁ、今週のらじらー!はそやみ回だから!!このタイミング逃したらもう書けないなって思ったし、あわよくばEntertainerをらじらーで聞きたい!!!流してくれ!!!(早口)

 

 

 

と言いつつ、私に記憶は残っていてもあの夏の感動や熱量はそのまま残っているわけではありません。

また、猪狩くん宛に書いたファンレターに

最後になりますが、私はこの感情をネットに垂れ流すのではなく、ちゃんと御本人へアナログな形であれど、ダイレクトに届けたいと思い、この手紙を書きました。

なんて書いてありました。笑

 

考えが変わったから、とは言いつつも、この時の自分の感情も大切にしたいので、今回はその全てではなく、歌詞に注目した重要なポイントを3つに絞って、少し抽象的にはなってしまうのですが、お届けしたいと思います。

 

ではいこう!

 

 

 

 

1.エンターテイナーとしての覚悟

これがきっと猪狩くんの伝えたいこの曲の核の部分です。歌詞をそのままエンターテイナーからのメッセージだと受け取る解釈です。

この解釈については本人からサマパラ直後の伝記にて、補足があった通りだと思います。

私なんかが説明するより、猪狩くんの綺麗な日本語で解説していただいた方がきっと理解が早いかと思いますので、どうにかして2020.08.23の伝記を探し出してください(他人本意)

 

 

 

2.全人類に当てはめられる「対自分」

前述の通り、エンターテイナーとしての言葉、と捉えたならば、この曲に共感部分は一切ございません。だって、我々ヲタクは客席に座るもの。どう足掻いたって、ステージからの景色は想像することは出来ても、見ることは出来ないのです。

 

しかしながら、よく「自分の人生は自分が主役だ」などと言われる様に、皆さんは皆さん自身を楽しませるエンターテイナーでもあるのだと思うのです。

だからこそ、この楽曲の歌詞を聴いて奮い立たせられるもの、共感できる部分というものが見つけられるのではないでしょうか?

 

言われ慣れたな 「無理 無理 無理」

テメーは後ろを振り向きすぎ

 

私にとっては、努力している人を鼻から否定する人が嫌いだったし、その矛先が自分に向けられたことも多かったので、自分自身に刺さった歌詞という簡単ではこの歌詞が1番でした。

きっとあなたにはあなたの人生があるので、ここについては共感出来ない人も多いかと思いますが、こういう見方もあるのか、と。自分に当てはまる歌詞を探してみて、違う見方が出来たら、よりこの曲を楽しめるんじゃないかなと思って書かせていただきました。

 

皆さんは、自分に重ね合わせられる歌詞がこの歌にはありますでしょうか?

 



3.配信ライブ、だからこそ

猪狩くんは自粛生活を要した去年一年、一貫して「この非日常をあえてポジティブに受け取って欲しい」というメッセージを伝え続けてくれました。

それはこの曲が披露された自担推し推し俺担ヨシヨシでも、一貫して強く伝えてくれていました。

この配信というライブを妥協という形ではなく、配信ライブという新しい形で楽しんでいただけていたら幸いです。

(サマパラ2020 猪狩蒼弥挨拶より)

わかりやすいところだと、OPがどアップで始まったり、友達申請後のインスト。カメラ割りが存在する配信ライブだからこその演出が盛り込まれたライブでしたよね。

 

それはこの楽曲にも言えることで。

本人が春祭りをきっかけにずきうや曲やろう、って話になったと仰っていたので、ここまで計算済みなのかは不明なのですが、この曲こそが配信だからこそ強く響く楽曲だったのです。

なぜなら、敵陣に乗り込んで歌うというシチュエーションがこの曲により深みを出している 

と思うからです。

 

ここで指す「敵」とは、一般人でも有名になれる時代を利用した「承認欲求を満たすだけの有名人」のことで。

SNSじゃ誰もが有名人 じゃあがってみるか?俺らのSTAGE

欲に溺れちゃ ただのliar

「上がってみるか?」などと煽りながらも彼らが今戦っている場所は「インターネット」「SNS」を用いた配信という機能。まるで敵陣に乗り込み、「あんたらの武器を俺らならこうやって使うぞ」と。そう言っている気がして。

 

そして、私がこの記事で1番伝えたい彼の凄みはここなんですが、

I am the one

手のひらじゃ踊れない

この歌詞。

誰かの掌で踊れない、自分の意思を持つ、というメッセージと共に、スマホなんぞという掌に収まるチープなステージじゃ踊れないというダブルミーニングになっているのだと解釈できます。

これに気づいた時は、まじでこいつ天才だって思った。この一行だけで、去年の夏を楽しめたと言っても過言じゃない。アハ体験。目から鱗。一生着いてくぜ猪狩蒼弥、と。そう思った。

 

そしてこれも計算か分からないんですけど、有観客ができた2021年、猪狩くんは自分のソロに2020年同様「Klaxon」を選んだものの、Entertainerはセトリ落ちとなっています。

生でこの曲のパフォーマンスを見たい気持ちもありましたが、これらの理由があったから、納得出来たし、それでいいんだと思えました。

 

 

 

 

と言ったところです。

ダンスも照明も衣装も小道具ガチャも本当に素敵で、1年経った今でも大切な楽曲です。

 

TVで披露されることもYouTubeで配信されることもなく、「あの夏」を過ごしていない方々におすすめできる方法が現時点で無いことが悔しいですが、私自身、多分に影響を受けた楽曲なので、こうして言語化することで、その素晴らしさを少しでも表現できていたら嬉しいなぁ、なんて思います。

 

長々とここまで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

NHKらじらーさん、Entertainer音源解禁、お待ちしてます、、、、)