まだ誰のものでもない私の最後の夜に

[まえがき]

これは2022年1月に書いたブログである。

 

彼氏ができる前夜、Hey! Say! JUMPの「ナイモノネダリ」を聞きながら、ブログを書いた。

後述にもあるが、このブログは私が彼氏を作ることへの恐怖心に打ち勝つため、或いは自分への理解を深める為に書いたものだ。元々公開する予定はなかった。

 

 

しかしながら、一途にヲタクとして生きてきた私にとって、彼氏がいながらヲタクをする、というイレギュラーな期間。この「今」だからこそできる解釈も沢山あるんじゃないか、と最近思うようになった。

なので、その導入として、また、自分の解釈が変わるきっかけがココだ❗️ということを明確にするため、このブログを残そうと思う。

 

 

 

彼氏よ、もしこのブログを見つけたらそっとブラウザバックしてこのアカウントをブロックしなさい。

さもなくば、興味もクソもないであろうHiHi Jetsスプパラ宮城公演に容赦なく連行してやる。勿論、旅費はお前持ちだ。

 

 

 

 

 

 

 

ここからが本文。

 

 

 

 

 

 

 

期待してたんだと思う。

 

アイドルヲタクになってから10年。人生の半分の時間をヲタクとして生き、半ジャニならぬ「半ヲタ」人生の私。

現実を見ろ、という言葉を何度も掛けられながらもここまでフルシカトで客席に座り続けてきた。

 

そんな私に、明日、初めての彼氏ができる。

 

なぜこの垢で長文を書くのか聞かれたならば、考えを全て文字に起こさなければ気の済まない性格であること、それとTwitterという現実と空想の狭間であるこの空間だからこそ、共有したいと思ったことが理由である。

 

私に興味のない人にとっては時間の無駄と思わせるような自分語りであるが、人生は全てエンターテインメントであると思っているので、「もゆちゃん」というひとつのコンテンツだと思って、このブログを読んで欲しい。

 

 

 

明日、告白される、多分。

もしされなかったらこれ程までに恥ずかしい話は無いが、その為に会うと断言しても良いくらい状況証拠は揃っている。今後の時間を1人で過ごすか否か、私は今、選択しなければならない。

 

「好きだと思う。ただ、蛙化現象持ちでいつか嫌いになる。人に近づき過ぎて良い思いをした試しがないから、告白はしないでほしい」

そんな意味の分からない電話をした。舞い上がっていたと思う。

 

 

極度の蛙化現象持ちで、男性からの好意を全て「気持ち悪い」で遮って生きてきた。だからこそ、好意を全て受け止められる猪狩くんの懐の深さに惚れたんだと思う。

 

 

そんな彼と付き合いたいと思ったのは、私が付き合えない理由として挙げた全てに答えを用意してきて、その上で強要する訳でもなく、こちらに選択権を委ねてくれたからだ。

 

 

簡単に言ってしまえば、とても自担に似ている人だ。

人に興味無さそうに振る舞い、いかつく武装しているが、心を許した人への優しさは異常な程である。先日、猪狩くんが「彼女特典はキモイほどに優しいところ」と言っていたが、彼もそういう人である。「好きって言われたら好きになっちゃう」って言ってたことあったからこいつ猪狩かよ、って心の中で突っ込んだこともある。

 

ここで猪狩くん解釈を一致させたいので、私の猪狩くん解釈が人目でわかる1曲をそっと置かせていただく。

 

「お姫様にしてよ!/=LOVE

https://youtu.be/oCb89c0MDVk

 

この「お姫様にしてよ!」という女心を100パーで地で叶えようとする、というのが、恋愛の観点から見た私の猪狩蒼弥の解釈である。

 

(追記)

余談になるが、イコラブを布教した際に「この曲が1番好き!」と言い、酔った勢いで「本当にお姫様にしてあげたいんだ〜」と言われた時には解釈一致キター❗️ヲタクやってて良かった〜😭💖💖💖となった。言葉より解釈が合っていたことの方が嬉しかった(そっち)

 

 

 

彼は、蛙化現象であなたのことを明日嫌いになってしまってもおかしくない、それなのに困惑させてしまって申し訳ないと何度も謝る私に、何も悪くないのにごめんはおかしい、と叱り、今好いてくれているだけで嬉しいと続けてくれる人である。文字に起こしてみれば見るほど、「あれ???これ、猪狩くんのレポかな???」と思ったりする。ヲタクの性である。

 

ちなみに、私はずっと彼に気に入られた後輩という枠だったのだが、その関係性はまじでりゅーがりの「ソレ」だ。(りゅーがりが好きなことには一切関係がない)

 

 

ここまで20年彼氏を作らず、ヲタクを一心にしてきた私は、彼氏という存在に期待をしていたんだと思う。

ジャニヲタが彼氏をすきぴや好きな人ではなく、「付き合ってる人」と好きをはぐらかした書き方をすることに憧れを抱いていた。

 

 

その憧れを目の前にした今、私は「怖い」という気持ちで支配されている。

 

人に近づくことでいつか壊れるということも怖いけれど、ヲタクに支障を来さないか、への恐怖も同じだけある。

 

現場中に彼の存在があることでいつも通りの考察が出来なくなってしまうんじゃないか。集中力を欠く原因になりかねない、という恐怖だ。

 

彼は私の勧めで女アイドルガチ恋なので、そこら辺の理解は人一倍あるし、そこに苦言を呈されたことも、干渉されたこともない。

現場最優先で動くこともアイドル以外の話題を作れないことも許容してくれており、ここまで譲歩してくれる人は他にいないのだが、自担の歌う恋愛ソングに自担以外を当てはめたくないし、集中力という観点は彼にどうこう出来る話ではないわけで、モチベが下がる原因は全て除外したいというのが、今の気持ちである。

 

 

ヲタクに全ての時間を捧げられなくなってしまうことが明確な中、私は自分の人生を前に進めるために「彼氏を作る」という選択をする。

今後それがどう影響するか分からない。

猪狩くんを好きでいたい気持ちと、ステージに集中出来ていない悔しさでいっぱいであるが、私が猪狩担をやめそうになった時、フォロワー総出で猪狩の沼に戻してやって欲しい。

 

 

そして、私も大声で「付き合ってる人が〜」とツイートしてやろうと思う。いいだろう、彼氏。そうであろう、高橋。(まさかの韻踏み)

 

 

 

 

昨日のうきさくらじらーでも地雷を踏まれたが、今夜あの曲を聞いて思い出すのは、過去に好きだった人ではなかった。驚いた。ずっと私の心につっかえていたのはお前だと信じて疑わなかったのだが、違った。

 

 

 

まだ誰のものでもない私の最後の夜に、思い出しているのは、かつて愛した男でも、男性アイドルでもなく、欅坂のことだった。

 

幸せになってしまえば、苦しい時に好きだった曲も、彼女たちとの最後の夜に死んでしまってもいいと思えた感情も、全部全部嘘になってしまいそうで、それが嫌で、拒んでやりたくなった。

猪狩くんと出会った時もそうだし、今日まで猪狩くんの中に苦しさを見出したいという気持ちも、全部同じところに根底があって、あぁ、変わらないんだなぁ、一生って。天国じゃ物足りない。地獄の底で一生苦しんで生きていたい。砂漠で見つけた一滴の水に感動できる人生を望んだ。自分が普通じゃないことを改めて、痛いほどに感じている。

 

 

 

 

櫻坂として改名した時に書いたブログにこんなことが綴られていた。

 

 

 

欅坂を好きでいられるなら、不幸でいたい。


感情を取り戻そうとして起こした行動は、どれも幸せになれる方法だったと思う。近くの人を大切にする、自分自身も大切にする。


でも私は、幸せになることが欅坂から遠のくことであると分かってしまったのだ。

不幸さと比例して欅坂を愛していた自分はいつからか、幸福から逃げるようになった。

幸せの匂いを嗅ぐと、自分から遠ざかるようになったのは、それに気づいてしまったからだ。

 

 

「推しがいない世界は余生だった。」より

https://note.com/akrzk46/n/n21db6ff9ffb4

 

 

自分を構築するものに他人が含まれることの恐怖もありつつ、不幸でありたいと願いつつ、私は明日を恐れているのだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

この私に宿る危うさと、一生付き合わなければならないのなら、1度くらい幸せと向き合い、向き合った上で幸せを嫌ってやろうと、そんな反骨精神もありつつ、明日と戦ってやろうと思う。

 

 

 

 

 

 

 

明日の朝は とても早いの

ドレス纏って神に誓うの

とても優しい素敵な人よ

私ね 随分大人になったよ

 

 

この歌詞に共感する日が来るなんて、なんて私はクズだろうと思いながら、この曲でこのブログと今日という日を終わらせようと思う。

 

 

「ナイモノネダリ/Hey!Say!JUMP」