こんな速度ではきっと君の横を走れない

 

小さい。小さすぎた。

 

HiHi Jetsの2021年最大のビッグイベント、代々木第一体育館での初単独アリーナ公演が終わりました。

埋まらないんじゃないか、まだ早いんじゃないか。そんな言葉を目にしていた8月の夜の匂いを今でも鮮明に思い出せる。

あの日からずっとずっと期待していた。アイドルに期待をしない私が珍しく期待をした。

落選の文字を見るのが怖いと思ったのは何年ぶりだろうか。ハードルを上げすぎて、素晴らしい公演を素晴らしいと思えなくなったらどうしよう、と不安になる日もあった。

そんな不安とは裏腹に着々とその日は近づいていった。私は有難いことに五騎当選をキメ、周りの人々にも恵まれ、お席をご用意していただける運びとなったのです。

 

小さすぎた。猪狩くんが、HiHi Jetsが。

 

夏は肉眼でしっかりと見えた表情が、双眼鏡を通してもはっきりと見えなかった。なんだかずっと夢心地で、あれだけ楽しみな時間は沢山あったのに、嵐のように過ぎ去った楽しい時間が少し憎い。

 

 

 

このコンサートをどんな切り口で、思い出として残すのかとても迷ったのだけれど、やっぱり私は猪狩くんの言葉がとてもとても好きだから、21日夜公演、最後の挨拶を軸にこの公演を大切にとっといておこうと思う。

 

 

私は緑色のペンライトの海が地球上に存在する美しいものの中で1番好きだ。それは猪狩くんだから、という意味も勿論あるけれど、前世で色々あったヲタクなので、そういう心理も働いたエゴである。

 

キャパが今までと比べ物にならない今回の公演。私はいち観客ではなく、景色になる覚悟を持って挑んだ。今までひとりひとりに応えようとしてくれていた猪狩くんだけれど、この公演だけはそうはいかない、と。だったら、景色として、その役割を全うすることで、よりよいコンサートになれば。そんなふうに思っていた。

だから私はそんな素敵な景色をどうしても見せてあげたかった。猪狩くんがアリーナに立つこと以上に、今まで見たことの無い広い広い海が見れることをとても楽しみにしていた。だから毎公演、fenceのイントロと共に緑に変わっていく会場を眺めてはうるっときてしまった。

 

そんな景色をあなたは「僕のことが好きじゃなくても緑色にしてくれて、ありがとう」と。

そう言ったのです。

見せたい、という思いが、ただの自己満足なはずなのにどこか報われたような気がした。

強制じゃないですから無理はしなくていいけれど、とその後に付け足した。その言葉にどこか悔しさを覚えつつも、自分を強く持ち、影響を与える側の人間なのに強制はしないというあなたの人となりが本当に大好きだと思った。

 

 

 

そして私は猪狩担になってからずっと、「猪狩くんがエンターテイナーのプロなら、私はヲタクのプロでありたい」と言い続けてきた。

 

だからオーラスの挨拶で、「周りを囲む全ての人がプロフェッショナルで超一流」だと、その中にファンを「俺らを広めてくれる皆様」として入れてくれたこと。

 

とてもとても嬉しかった。

 

ファンの位置づけが「俺らを広めてくれる存在」として必要としてくれていることもドンピシャに解釈一致だ、と嬉しくなった。

 

 

そして、私個人の話で恐縮なのだけれど、私の根っことして「人生は苦しくなくちゃいけない」という意識がずっとあって。

楽しさに慣れてしまうと少しの傷がとても痛く感じてしまうから、それが怖くて、楽しさからずっと逃げて生きてきました。

 

でも私、今とっても楽しいんです。人生が。

とっても幸せなんです。

 

なんとなく、ヲタクをしていることに後ろめたさがずっとありました。小さい頃はこんな贅沢していいのか、とか。今だったら、現実を見なくちゃいけないんじゃないか、とか。同じ仲間からも同担拒否という敵がうじゃうじゃいる世界で育って、ライブ中もどこか張り詰めていて。

その不安がこの夏に猪狩くんによって吹き飛ばされて、それでも綺麗な夢を見るために今度は現実をより苦しいものにしようしようと、この3ヶ月は過ごしていたんだと思います。

 

だからね、猪狩くんが念を押すかのように「どうか楽しく、楽しく、ご刮目ください」と言ってくれて、本当に心が軽くなった気がしたんです。

辛い思いをしなくとも、楽しんでいいんだ、幸せでいいんだ、って。

 

「誰一人置いていかない」

この言葉をきっと彼は伝えたかったんだ。

置いていかれないように必死で、毎日を生きて、必要以上に自分を追い込んで生きていたことをやんわり否定して手を差し伸べてくれた彼の言葉に涙が溢れた。

ありがとう。本当にありがとう。

 

でもやっぱり私は、あなたの今を見続けるために今後も緊張感を欲し続けるのだと思う。それでも、壊れずに前を向き続けていられるのはあなたがいつも言葉をくれるからで。アイドルとファン、私にとって1番良い関係性が猪狩くんと作り上げられているんじゃないかなって、我ながらいい関係性だなって、そう思います。

 

 

 

挨拶が終わり、最後の曲。

愛してると何度も叫ぶあなたがとてもかっこよかった。かっこよすぎて、あぁ、ここに辿り着くために今まで生きてきたのかもしれないなんて思ってしまった。

私も愛してる。ツイートしてみたらとてもチープに感じた。同じ言葉なのに、全く重みが違う。

 

私も言葉に重みのある人間に成長したいなって。それはヲタクとしてではなく、人間として。アイドルというコンテンツと向き合って、なにかを得られたなら、それは我々の勝ちなので。

 

 

 

小さすぎた。会場が。

 

もっともっと沢山の緑のペンライトがあなたを照らして欲しい。

もっともっと大きいステージに立つその日を夢見て。

 

猪狩くん、幸せをありがとう。

置いてけぼり

急ぎで感情のままに書いています。

あとで綺麗にまとめれたらこちらは消そうかなぁとも思うのですが、明日になれば忘れてしまう感情だと思ったので、ばーっと思ったことを描きます。

 

本日2公演で猪狩くんが共通して口にしていた言葉、「誰も置いてけぼりにしないよ」

 

この言葉がもう想像出来ないくらい深く刺さりました。

それは、私に思い当たる節があったからだと思います。

この代々木までの期間、張り詰めた毎日を過ごしていた気がします。それは、代々木に行くなら、HiHiに楽しませてもらうんだから私生活でなにかを頑張りたいという思いがあったからです。

私は推しが頑張ってるなら私も頑張らなければパフォーマンスを評価できる立場には立てないと思っています。それはパフォーマンスに否定的意見を持たない場合でも同じです。頑張らない人が頑張っている人を褒めるということに違和感を感じるからです。

 

このアカウントで言葉にしたことがあるかは確かではありませんが、HiHiJetsを好きになってから、「HiHiのスピードに置いていかれないように。」という言葉をよく使うようになっていました。特にデビューという言葉を口にしたあの日からは強く思っていたことです。

11月に入ってからは自分のキャパシティを完璧に無視していました。課題に追われようが連日バイトだろうがどんなに予定を詰めてもHiHiの忙しさや努力には勝てないし、そんなの分かっていても、足りない、もっともっと、と今思えば自分をかなり追い込んでいた気がします。

 

あの頃は全く自覚が無かったし、いや、自覚はあったけどそれすらも見ないふりをしたかったのかもしれません。

 

でもそれを見透かしたかのように「誰も置いてかないから」「代々木のライブを楽しんで欲しい」「エンタメは生活があってこそ」と。

 

その言葉で目が覚めたというか、ヲタクは自分の犠牲にしてまでするものじゃないと気付かされた気がしました。

 

めちゃくちゃ薄くてなんの考察でもないけど、この単純な言葉にとても心を打たれたので、それを記しておきます。ありがとう、猪狩くん。

初めて自担の誕生日公演に入った話

最近までTDCで過ごす夏!サマパラの夏!とか言っていたのに暦は既に10月。Hi美初座長の「少年たち」も先日、無事に千秋楽を迎えました。

 

9月開催ということで、皆さんもご存知の通り、開催期間の中に猪狩くん19歳の誕生日が含まれておりました。ご縁があり、ヲタク人生で初めて自担の誕生日公演という経験をしたのでその感想を猪狩くんの分析、ヲタクとしての感想、この2つを軸に書き記して置こうと思いますを

 

①少年たちのお話

実はJr担7年もやってる割に今年が初めての少年たちだったのです。スノスト関ジュ出演の映画は履修済みでしたが、例年と異なり、1幕2時間と聞いていたのでかなり駆け足かつ内容の変更等もあるんだろうなぁと思っておりました。

純粋に、ジャニーズ舞台なのにハッピーエンドじゃないことに驚きました。記憶が定かでは無いのですが、以前ジャニーさんが「ジャニーズは絶対にハッピーエンドでありたい」的なことを言っていた気がしたので、こんな悲しみの中で「君にこの歌を」って歌われるんだ…と。

今回の目玉とされていたクラッシュビートの演出はとても良かったです。滝沢社長、水の演出好きだよなぁと思いつつも派手さとか新しさとか、ジャニーズらしいなぁと。

新聞の見出しを飾った「桶ダンス」は丁度猪狩くんを見逃しまして、全く記憶がありませんでした。変に身構えていたので意外とあっさり終わったなぁという印象。

 

②02番のイガリ

劇中の猪狩くん演じる囚人イガリについて。

私は完全自担主義、最初から最後まで双眼鏡でロックオンヲタクなので、劇中の猪狩くん以外の記憶がありません。悪しからず。

 

劇中の表情がとても好きで、普段ファンサをする時やメンバーに向けた笑顔はあれほど前に優しいのに、人を煽るような笑顔が私の心に、記憶に、グサグサ刺さりました。

 

そして、1番「こいつすげぇな!」ってなった箇所がありまして、猪狩くん、劇中ずっと片手をポケットに入れていたんです。最初は、治安悪いなぁとしか思っていませんでした。が、その後のセリフを聞いてひとつの仮説が浮かび上がりました。

「親父を刺した手が今も時々震えるんだよ」(ニュアンス)

これは憶測ですが、劇中の片手ポケットはこよセリフへの伏線で、手の震えを抑える(隠す)為にポケットに手を突っ込んでいるというキャラクター設定を用意していたのでは無いでしょうか?まじでこれは確認しようがないのですが、もしここまで考えていたなら、流石としか言いようがありません。

 

③アイドル猪狩蒼弥

役関係なく、猪狩くんの素の部分。アイドルとしての猪狩くんについて。

まず、私の完全主観ヲタク視点で両親に感謝を伝える日であろう誕生日に、お芝居といえど父親に死ねだなんて言わせてしまってごめん、という気持ちがありました。あぁ、こういう残酷さも含めてあなたはこの世界を愛し、そして生きていくんだなぁ、と。

 

SHOWTIMEでは、クラッシュビートの太鼓の叩き方、手首で柔らかく叩くところも、首でリズムをとっているところも猪狩くんだなぁ、と。遠目からでも分かる猪狩蒼弥の癖が本当に愛おしかった。

 

そして、私がこの公演で1番感じた猪狩くんの核の部分は「謙虚さ」だったと感じました。

全演者が猪狩くんのお誕生日ということで、猪狩くんにとって特別な公演にしよう、という意識は開演からビシビシと伝わってきました。セリフを猪狩くんのエピソードを交えたものにしたりとか、桶ダンス前のガチャは猪狩くんだったりとか。観客だって猪狩担が多く、私含めて話の内容以上に誕生日ということに重きを置いて観劇しに来たヲタクも少なくありません。

ただ、当の本人である猪狩くんは至って冷静に役を演じきっていたのです。誕生日だからと言って変に気負いせずにいつも通り演じていたんじゃないかなって思います。勿論良い意味で。

最後の最後、周囲のメンバーからの優しさを汲み、申し訳無さそうに0番に移動しながらも、堂々とポーズを決める姿に猪狩蒼弥が詰まっていたのだと思います。

 

 

 

 

とにかく、誕生日公演っていいなぁ!ってことでした。前述の通り、本人は至って普通だったのですが、周りの盛り上げようとしてくれる感じだったりとか、やっぱり自分の気の持ちようだったりだとか、いつもの倍楽しむことができた気がします。

 

 

 

改めて、猪狩くん19歳おめでとうございました!

 

 

 

 

 

 

 

(余談)

20日夜公演の猪狩くんのビジュが好きすぎて、ビジュに興味無いヲタクなのですが、初めて自担のビジュでこんなに沸きました。ぜひあの髪型でなにか映像作品を残していただきたいです。これを読んでるそこの猪狩くん!次の少クラは右耳かけでお願いしますよ⁉️(無理)

全て君に出会うためだった

きっと君だ 君だ 君だ

いくつか恋をしたけれど

全て君に出会うためだった

 

きっと君だ 君だ 君だ

遠回りしてごめんね

やっと会えた My ideal

=LOVE / =LOVE =LOVE(イコールラブ)/ =LOVE【MV full】 - YouTube

突如イコラブを引用してしまい、あなたのことを混乱させて申し訳無いと思う。

 

これはれっきとした沼落ちブログである。

タイミングを見失い、いつ公開しようかずっと悩んでいたら9月20日を迎えてしまった。

猪狩蒼弥、19歳の誕生日ブログはこの沼落ちブログとさせていただきたい。

 

 

沼落ちブログは、ずっと完成間近のものが下書きに残っていた。だけど、いちから書き直そうと思う。

猪狩くんと私の関係は、今の「担当」という名前に落ち着くまで複雑に変化してきていて、一目惚れなどという単純で分かりやすい運命では決してなかった。それをいちから説明しようと6年前の出会いからタラタラ書いていたが、今回は出会って経緯ではなく、なぜ6年経った今猪狩担をしているのか、についてお話したい。

いや正しくは、6年経ったからこそ、なんだけど。

 

 

YouTubeチャンネル開設を機に、Jr自体の知名度も上がり、「もっと早く知りたかった」などと嘆くヲタクが多い中、私は幸運にも彼らたちを結成から見守ることが出来ていた。しかしながら、当時他のメンバーを応援し、HiHi自体からも離れた時期があった。どうしてもっと早く猪狩くんの価値に気づけなかったのかと、自分を責めたくなることもあるが、このタイミングじゃなきゃ絶対に猪狩蒼弥を好きにはならなかった。絶対。

 

 

誤解を恐れずに端的な言葉で表すならば、

ヒロムが亡くなってしまったことで猪狩担になろうと思った。

ヒロムってのは、言わずも知れた世界のジャニーのことなんだけど。文字だけで見たらなんとも冷酷なんだと思うし、私もそう思う。

 

 

時は2019年。(髙橋vo.)

ヒロムが死んだ。

それはジャニアイを愛したヲタクとして、とてもとてもショッキングな出来事だった。

LGTEとかIn your heartとか、それこそHiHi Jetsとか、冬帝劇の曲が本当に大好きで、2019年1月に念願の初観劇を迎えた。あの日から私は「これを観る為にヲタクする」「来年以降も来る為にJrに担当を作る」と心に決めた。来たるトニトニがとても待ち遠しかった。

思い返せば、当時の口癖は「ヒロムが死んだらヲタクを辞める」だった。

ジャニアイはヒロムのものだ。ヒロムがいない世界でヲタクなど到底出来ない。そう思った。

 

 

 

ヒロムが死んだ後のジャニーズは、とにかくエモさに溢れていた。

社長の追悼企画で彼の素晴らしい演出や舞台が連日TVで紹介された。当時行われたコンサートでもJrマンションや円形フライングなど、ジャニー社長の考案したジャニーズらしさ溢れる演出をオマージュするものが目立った。

 

けど、私にとってこの光景はジャニーズらしさに反する物だった。

私の知っているジャニーズは、いつの時代も期待を裏切ってきた。予想の遥か斜め上を行く演出、プロデュースの数々がジャニーズをジャニーズたらしめるものだと、そういう解釈だった。新しさのないジャニーズは、ジャニーズじゃなかった。

 

だから私はヲタクを辞めようと思った。

過去に囚われる事務所に未来などないと思った。

 

 

ただ唯一、彼だけが前に進んでいるように思えた。

それを感じたのはこの冬のジャニアイでのワンシーン。

松尾龍、猪狩蒼弥「たつるサロン⑥」 | ISLAND TV

そうです❗️あの伝説の戦争ラップ❗️❗️❗️ (突然雑)

私はこれ聞いて、ジャニヲタを続けようと決心したのです!!!!

 

今のご時世、アイドルも多様化してどこまでがアイドルか?というのも分かりにくくなってきました。アイドルがバラエティをやる時代は過ぎ去り、アイドルが芸人寄りになってしまったり、ダンススキルに重きを置きすぎるあまり、アイドルなのかダンサーなのかわからない、なんていうアイドルも存在します(※完全主観だけど)

だから、ただ新しいことをするだけじゃダメなの。特にジャニアイに至っては❗️ジャニーズらしさから逸脱しちゃいけないというでっかい枠組みは他の現場以上にあったと思う。

 

でもね、その枠を壊さずに、彼は新しいジャニーズアイランドを作り上げたのです。この脅威のバランス感覚と自己プロデュース能力に私は一瞬で平伏したのです。

 

猪狩くんを「ジャニーズらしく無い」と表現されることが多いけれど、私にとっては猪狩くんこそが真のジャニーズタレントなのだと、この時に思いました。いつも新たな感動を、楽しませようという精神だけで届けてくれる。とても素敵なアイドルです。

 

でも、この結論はきっとヲタク1年目じゃ絶対に辿り着けなかったもので。今までの歴代の推しがいて、様々なアイドルを目にしてきた中で、やっとたどり着いた答えが猪狩くんだった。

歴代の推しを見ていく中で構築してきた理想のアイドル像が、結果として猪狩蒼弥を求めることとなった。これまでのヲタク人生が無ければ、猪狩くんを「ジャニーズらしい」なんて思わないし、魅力にも気づけなかった。

 

この事実に気づいた時に、軽率にラブソーが流れるジャニヲタのように、イコラブが頭の中に響き渡ったのでした。

 

諦めかけた僕のideal

君を探していた

 

7年かけてやっと出会えた理想こそ、まさに彼だった。ヲタク史上今が1番楽しいし、楽しい毎日を提供してくれる猪狩くんには本当に感謝しかありません。

 

19歳のお誕生日、おめでとう。

 

 

これからも愛し合っていきましょう。

猪狩蒼弥と平野紫耀は似ている話

今、私はとても恐ろしいブログを公開しようとしている。

 

これは元々、親友の平野担に宛てた解釈ブログが基になっていて、「パフォーマンスも大事だけど顔も大事だよやっぱり」な親友ちゃんに猪狩くんの良さを伝えたくて書いた。

 

本当は二人だけのものにしておくつもりだったのだけど、9/17の猪狩くんの伝記を受けて、これはHiHi担とも共有しておきたいと思い、公開しようと思う。

 

 

 

 

私は平野紫耀を知らない。

正直、平野は景色だ。これは担当のいるグループは自担しかみえないというジャニヲタ特有の病気から来るものである。

 

ジャニヲタの主語はいつも自担だ。平野の誕生日タグをつけておきながら、これからもれんれんをよろしくね🖤みたいな、しょうれんの画像載っけちゃうみたいな、それがジャニヲタ。だから私に平野のことなど分かるわけがない。

 

だからこれは、あの伝説のnote「平野紫耀が人間になった話」が本当である、と仮定した場合の仮説となる。(あれはきっと本当。24時間TVのドラマ後、平野の感想を聞いてあのnote思い出してすぐに読み返した)

平野紫耀くんが人間になった話|泡|note

永瀬担の私は、デビュー直後の平野の多忙さ、背負っているものの多さにいつか空回りしてしまわないか不安を覚えていたものだったが、担当からはこう見えていたのか、なんて感銘を受けた。私なんかのブログより綺麗な文章でとても良質なノートなのでこちらもぜひ読んでいただきたい。

 

 

本題に戻ろう。

 

 

 

猪狩担になってわかったこと。

それは、猪狩くんの心は人一倍に繊細だということ。

あんなビックマウスで尖った言葉を選ぶけど、いつだって本当は心細くて、すごく周りの反応も伺ってるのだと思う。きっと「俺は俺」っていう言葉自体も自分に言い聞かせるという側面が大いにあるのだと推測される。

 

 

私はずっと猪狩くんは才能が溢れて仕方が無くて、誰も見てなくとも作品を生み出してしまう側なんだと思ってたけど、真逆だった。

 

サマパラ全28公演、彼の挨拶の頭にはいつだって「皆さんのため」という言葉があった。

「これが俺らだから黙ってついて来い」じゃなく、「あなたの為に魅せるから、楽しんで欲しい」だった。

エゴサもするし、「皆さんの反応が見えるってのが1番手っ取り早い」なんて言ってる日もあるぐらい、オーディエンスのことを気にしてた。お客さんに見せる為だけに作品を生み出してくれるのだ。

 

 

平野がそうなのか、とかは知らない。

 

ただ、やりたいものを隠してファンの為に提供してきたものがあることくらいはわかる。

シンデレラガールなんかよりReal faceとか、banger nightとかがやりたいに違いない。アルバム曲にその要素が加わりつつあるが、シングルはデビュー3年目の現在も王子様ソングという括りを守り切っている。

世間の求めているものを提供しているのがまた彼であり、それを200点満点のクオリティにしちゃうのが彼の凄みだ。

 

 

 

だけど、決して媚びない。

大人たちから与えられる枠っていうのは、大きさは違えど、どちらにもある。絶対。

現代でも未だに、ジャニーズという逆色眼鏡は一定層に根深く残っているし、ジャニーズって時点でやれること限られてたりする。

 

でも2人ともそれを言い訳にしてない。

猪狩くんが平野より自分のやりたいことが出来てるのは、大人の枠組みをはめられる以前に自分のキャラを作り上げてしまったことにある。スペオキしょおちゃんはヒロムに見つかった時点でジャニーズという大きな枠がどーん❗️と用意されて、自我を出す隙なんかなかったんだろうね。

大人と、ファンと、自分と。みんなが納得する絶妙な答えを出せる。発言ひとつに対してもそう。

 

 

 

そしてこの地頭の良さ&優しさから来るのが「血だらけでも平気なフリをするアイドル」の誕生だ。

殺気を感じることがある。パフォーマンスでドンドコ殴られるような気分になることもあるし、ファンやメンバーを守りたくて笑顔で放った一言に殺意を感じたりもする。外見だけで言っても、強く見られたくてバチバチ武装してる。

 

なのに、今にも泣き出しちゃいそうな、脆く壊れてしまいそうな瞬間が垣間見える。滅多に泣かない彼が大事な人の死で、横に並ぶメンバーの誰よりも泣いていたりする。メンバー脱退の危機に直面して言葉では「絶対に戻ってこい」「ずっと5人で」なんて言っときながら、「振り返れば消せない失敗 やり直せるならもう一回」なんて悲しげに歌ったりする。怪我をしているというレポが流れてきた日のブログでファンの体調を心配して「俺は至って健康です」なんて言っちゃう。

 

誰よりも人気者で、いつも笑いの中心なはずの彼が、ステージの上で孤独にみえたりもする。

 

笑っている目には泣き跡がくっきり残ってて、それでも涙の理由は教えてくれない。

満面の笑みで「これからも守ってやるから」なんて言うのだ。沢山の顔があるのに、本当の彼は、言葉の裏の裏に隠れていて、私たちが勝手に覗き込んでやっと1ミリだけ分かったりする。

ヲタクという生き物は自担のことをもっと知りたくて、全てのコンテンツに目を通し、彼の底の底を知ろうとする。だが、彼は絶対に素を見せてくれない。自担にするまで親近感があるなんて誤解をしていたけれど、知ろうとすればするほど遠のいていく。

 

 

すっごい猪狩担目線だから仮説が合ってるかはここまで書いても分からない。

けど、なにが言いたいって平野紫耀は無論、猪狩蒼弥だって最高で最強のアイドルだってこと。永遠の0番である平野と同様に、彼にもジャニイズムの血がしっかりと流れてるということ。

 

猪狩くんは前述のジャニーズという逆色眼鏡で見られながら、ジャニーズ内からも「ジャニーズらしくない」という色眼鏡で見られることが多い。

これを読んだあなたには、ぜひ一度その色眼鏡を取って猪狩蒼弥を見て欲しい。私は、とても個人的意見にはなってしまうだろうけれど、彼こそがジャニー喜多川のいないジャニーズで1番ジャニーズらしさを継承するアイドルだと思う。それを理解してくれとは言えないけれど、感じて欲しい。

そんな彼ももう19歳になるんですよね。気づけば19歳。

20歳からシニアと呼ばれるJrの世界で、もう、19歳。

彼の魅力がもっともっと伝わる一年になりますように。

自分の幸せは自分で守る

「早くヲタク辞めて、彼氏作んな?」

 

大学生になり、ヲタク人生において彼氏を一度も作ってこなかった私に、親も、友人も、この言葉をぶつけてくる。

まるで、恋人がいることが正しい幸せの形だと分かったような顔で。

 

 

気がつけば20歳。一緒に東京ドームで年末を過ごしたあの子も、大学生になったら全ステしようと誓ったあの子も、青春時代をアイドルに捧げた友人はみな、1人の女として誰かに愛されて幸せな日々を送っている。

 

ジャニーズから足を洗った友達が口を揃えて「彼氏はいいよ〜」「早く作りな!」「このイケメンはどう?!紹介するよ!」なんて言ってくれる。ありがとう、私が独り身なことを気にかけてくれて。

…でもよぉ、私は声を大にして言いたい。

勝手にお前らの幸せを押し付けんじゃねえ!!!!!

 

ワイはイケメンが拝みたいだけで毎週少クラ見てるわけでも、特別な対応がされたいからファンサを求めるわけでもねえ!!!前者なら自担と同等の顔面国宝が大学にいたら、彼と付き合うことが幸せだろうし、後者なら優しい彼氏を作ればたっかい金払わなくとも毎日投げチューエアハグなんて屁じゃないくらい構ってくれるであろう。

だが、現役ヲタクの私から言わせりゃ、そんなのまじで価値がない!!!顔が良くても、無償の愛で自分を優遇してくれることも、パフォーマンスができないなら全くもって意味がない。

個人的には、幸せの種類は多ければ多い方が良いと思っているので、恋人がいた方が幸せ、と感じたならば、推しとの両立だって不可能じゃ無いと思う。ただ、今の私にとって恋人という存在は不要なもので、幸せを感じる要素じゃ無い。だから要らない。

 

 

サマパラ2021。猪狩蒼弥は、毎日違ったメッセージを届けてくれていた。猪狩くんにはファンに伝えたいことが沢山あるのだと、そういうアイドルって素敵だなぁと、それを受け取るいちファンとして嬉しく思った。

 

そんな彼が今年の夏伝えたかったことの集大成とも考えられる最終日の挨拶。

今はほんとにいい時代じゃないですか。幸せの形が多様化されてやっぱ一般的に言われる幸せとか、周りの人が思ってる幸せじゃなくても、幸せって言っていい時代になってきてるじゃないですか、ほんとそういう素晴らしい時代に立ち会えたことを俺凄く嬉しい(抜粋)

私もだよ猪狩くん。と思っていると、隣では母が「あんた猪狩以外の話できないの?」と。だから彼氏が出来ないのよ、などと言い放った。何度も言わせるな、恋人は今の私を幸せにする要素じゃ無い。

 

 

勿論、いつだって隣の芝生は青いのだから、恋人がいる人、家庭がある人。幸せに見える人たちにも勿論苦労はあると思う。

この「ジャニヲタ」というカテゴリーにおいては、この幸せを否定される風潮をすごく感じる。そして、女の独り身は不幸だ、という固定概念が今でなお存在することも突きつけられながら、ジャニヲタという世界を生き抜いてきたような気がする。否定されすぎるあまり、この「幸せ」に自信を持てなくなる瞬間が何度も訪れた。

 

 

今の時代、幸せの形が多様化している。だけど、それが周囲に認められるかは別問題だ。

 

自分の幸せは自分で守る。

 

それがこの時代の幸せの定義だと私は思う。あなたの幸せはあなたにしか分からないもので。私の幸せは私だけのもの。この程度のものを守れないなら、人生なんて到底やってけない。どんな幸せの押し付けも軽やかに受け流して、私は私の幸せがあるのだから、とあなた以上に幸せな顔をしてみせるのです。

 

この歳になってもなお、私は客席に座り続けるという選択をした。将来を見据えた時に、この決断を後悔するかもしれない、と恐怖を感じている。それでも私は、ペンライトという武器と彼の作り出すステージで、私は私を幸せにしたいと、そう思ったのです。

 

HAFを名乗らないという「美学」

8/18のYouTube生配信、皆さんはご覧になりましたでしょうか?

 

もし観ていない方がいるのでしたら、こんなブログ読んでないで、下のURLから飛んで今すぐにチェックしてください‼️

HiHi Jets【21時から生配信!】MV見てほしい!! - YouTube

 

前置きは程々にして、本題。

 

私がファンネームを名乗らないという「美学」について。

 

先程紹介した生配信にて、HiHi Jetsのファンネーム「HAF」が決定いたしました❗️パンパカパーン🎉ドンドン❗️✨

 

意味合いとしては

H•••HiHi Jets

A•••accelerate(加速する)

F•••famiglia(家族)

と。なんともHiHiらしい素敵なファンネームです。

 

ここで皆さんは疑問に思うことでしょうが、

「じゃあお前は何故HAFを名乗らねぇなんぞほざいてやがる!」と。仰る通りです。

別にHAFという名前が嫌だとか、そういうことじゃないんです。

 

 

 

私にはなりたいヲタク像、応援するにおいての自身への理想が存在します。

 

猪狩くんの人生のテーマのひとつでもある「美学」という言葉を題名に使わせていただきましたが、猪狩くんは「美学」=「なりたい自分であり続けること」と定義しておりました。

 

私の要素の全てがヲタクなわけではないものの、それも大事な私の一部ですし、なんなら現時点では私の大半を占めている要素ですし、これもれっきとした私のなりたい私なのです。だからこの言葉を引用した。

 

じゃあお前のその「美学」ってやらはなんだ?と。

 

それについて、今回は語っていきたいな、と。

 

 

 

 

①ヲタクは無料の広告塔である

これが1番大きい要素です。

 

アイドルはファンがいるからこそできる仕事だと、何度も何度も伝えてくれますが、本当のところ、ファンは自分の為にアイドルを応援しているわけで。アイドルの為に、という行為ですらも、結局は自分に色んな形で返ってくるからしているわけです。

だから、大前提として、ヲタク活動というのは、自分自身の為にやるものだと認識しています。

 

しかし、それでもやっぱり、いつも元気を与えてくれるアイドルにはなにかしら恩返しがしたいというのがファン心理だったりもしますよね。

 

じゃあ、ヲタクの出来る恩返しってなんだろう?

 

最近よく見られるのは、グッズの大量買いやYouTubeの再生数を上げることです。

これらの行動はランキングを上げることだったり、購買意欲を示すことで関係各位の皆様に「推しに仕事を」というアピールになってたりもします。

 

が、私は推しの仕事に対してはそれ相応の対価を払うべきだと思っているので、一人で何枚も写真を買ったり、再生回数に囚われてYouTubeを見たく無いんです。

一度同じグッズを複数集めたことがありましたが、開封したのはたったのひとつだけでした。私は果たしてそのモノに見合った価値を示せていたのでしょうか?周りに流され、過剰な反応を見せること、見合った価値を見出せなくなってしまうこと。私はとても怖いことだと思うようになりました。

勿論、複数買うだけの価値がある、という方なら問題ない行為なんだと思います。それも素敵な愛の形だと思います。でも私はそうじゃなかった。私は、良いと思ったものに、自分が良いと思っただけの付加価値をつけたい。

 

 

じゃあそうなると私の中でのヲタクの意義ってなんだろう?ってなったときに、「ヲタクは無料の広告塔」という結論に至りました。

 

 

結局のところ、ヲタクにしか出来ないことってこれしか無いんです。いくら売り切れにしてやった、再生回数100万回達成した、などと言ってもそれは本人たちの提供するコンテンツが素晴らしかったから、以外の理由ってないと思います。それが1人1つ、1回じゃなかったとしても、それは曲げてはいけない考えだと思ってます。

 

でも「認知度」を上げるという点については、我々の力でどうにかできる点でもあると思う。

 

今や日本で知らない人はいないであろう橋本環奈も、有名になるきっかけは、ファンの撮った一枚の写真でした。

そういう好きになるきっかけ、知るきっかけは、今の時代も変わらずに口コミの力は大きいのでは無いでしょうか?

 

それを踏まえた上で、ファンじゃ無い友達と会話している場面を想像してください。

ヲ「私HAF(ファンネーム)なんだ!」

と言われては、「ん?なんじゃそりゃ?」ってなりますよね。

ヲ「HiHi Jetsのファンなの!HiHi Jetsが好きで、」などと最初からグループ名を口にすることで、微力ながらもグループ名を知ってもらえるきっかけになる。

 

 

会話の中で「HiHi Jets」「HAF」と新しく知る言葉が2つあるより、ひとつだけの方が覚えやすい。初めて見た少クラで、一気に全メンバーのテロップが出ても誰も印象に残らないあの現象に近いものがあると思います。

 

 

猪狩くんもHiHi Jetsも、いずれこのHAFという言葉が浸透してくれたら嬉しいのだと思います。

だけど、今はHiHi Jetsという名前がなによりも先行してアイドルというコミュニティだけじゃなく、世間に、日本中に浸透してほしい。それが私の思いです。

 

 

 

②ファンの間口は広くてなんぼ

これは①の話にも繋がるのですが、ファン用語が多ければ多いほど、ファンになりづらい環境を作るものだと思っています。

 

「最近気になってる」とか「ちょっと好きかも」という人でも「まだヲタクを名乗れないなぁ」みたいな層って一定数いると思うし、SNS×ヲタクという文化が発達したせいで軽率に好きって言いにくい環境にあると思うのです。

 

例えば、ヲタク同士では名義いくつある?なんて会話がされることなんて珍しく無いわけですが、他のコミュニティで生きている方からすればそもそも名義ってなに?って人もいるだろうし、FC入ってるだけでもめちゃくちゃ強火じゃん!と思われるものだったりすると思うのです。

 

皆さんも、旅行に行った先で言語が全く分からず、全裸で過ごすのが仕来りだったら、或いは食べ物を手で食べるなんていう習慣があったら、言語や文化にギャップがあるだけで、なんとなく壁を感じますよね?

 

 

やっぱりそういう文化や用語で壁を感じるのってコンテンツ毎にも存在するんだと思います。

他にも、その用語を知っているか否かで、マウントが発動する可能性だってあるわけで。

 

 

アイドルの幅が広がる一方で、ファンというコミュニティ自体がその間口を狭くしているのが現代のアイドル文化なのだと思っています。

 

だから私は、私の周りの人にはその壁を感じて欲しく無い、という理由から、なるべく相手に伝わる言葉を選んでいたいと思うのです。

 

 

 

 

③結局のところ、「ファンの皆さん」と言われたい

まぁ結局「自分のため」という側面もあって、これに終着します。

勿論、自分たちに名前をつけてより愛してくれようとしてくれていることも、特別に思ってくれていることもとてもとても嬉しいです。

ライブ会場で彼らと私たちだけの空間を作り上げる中で、特別な固有名詞があることに胸が熱くなる気持ちもすごくわかる。

 

でも、それでも、私はファンの方って呼ばれたい。

 

この気持ちを上手く表現出来る言葉を今は知らないのですが、ずっとずーっと変わらない気持ちでもあります。

 

 

 

 

いつもいつもブログの着地点が見えないのですが、私の言わんとしていることは伝わったのでしょうか?

これは皆さんにこの考えを強要したいとか、そういうことではなくて、このブログは発信するという側面もありつつ、私はこうである、という自分の記録でもあるので、こういう考えのヲタクもいるのかぁぐらいに思っておいて欲しいです。

 

勿論、HiHiを加速させる存在でいたいという認識は私も持ち続けていく所存ですので、今後も同志として、一緒にHiHiJetsを応援していきましょ〜‼️